承継期

ベテランの椅子張り職人全員が事業引継ぎ先へと移籍~早めに会社の将来を考え、高い技術を持つ椅子張り職人たちの雇用を第一に、第三者へ承継

有限会社高和製作所(秋田県秋田市)
代表取締役社長 高橋和夫

秋田県の主要施設には必ず高和製作所が仕上げた椅子が置かれていると言われるほど、高和製作所の椅子は長年愛用されてきました。事業引継ぎによって北日本ボード工業株式会社に従業員が全員移籍し、現在はその会社の一部門として変わらぬ高品質の商品を全国に届けています。その経緯について、高和製作所を率いてきた高橋様ならびに、事業承継・引継ぎ支援センターの河田様に伺いました。

*有限会社高和製作所は、北日本ボード工業株式会社へと事業譲渡されました
代表取締役社長 高橋和夫

――事業引継ぎの経緯について教えてください(秋田県事業承継・引継ぎ支援センター・河田様)

高橋さんは、当センターが立ち上がって間もない頃の相談でした。秋田県の施策として、事業引継ぎの悩みを訪問型で発掘する活動を始めた頃だったのですが、その一貫で県が配置した秋田商工会議所の相談員が高和製作所様にも伺い、センターでの支援を紹介したことがきっかけでした。

良い技術をお持ちなのでぜひお力になれればと思ったのですが、その時にはすぐに引継ぎ先を紹介できたわけではありませんでした。ただ継続的に状況を伺いつつ、事業引継ぎに向けた課題を整理し、留意点のアドバイスなどを申し上げていました。

そうした中で、高橋さんご自身が取引先であった北日本ボード工業様へ話をし、引継ぎの話が具体化することになりました。細かい実務手続きが発生してきますので、顧問税理士も交えた助言や、専門弁護士の紹介などを、我々がサポートさせてもらったという次第です。

高橋さんが事業引継ぎを考え始めたのは、まだご自身でも経営が続けられる時期だったと思います。しかし、早めに動き始めたことが事業引継ぎを円滑にするうえで大きかったと思います。事業引継ぎに関しては、経営者として大事なことだとは理解している一方で喫緊の課題ではないと先送りする傾向にありますが、あの時の決断があったからこそ、今も引継ぎ先の会社で事業発展に貢献できているのではないでしょうか。社長は従業員の皆さんのことを第一に考えていらっしゃいましたが、おそらく納得いく形で移行できた事例だと思っています。

事業承継・引継ぎ支援センター 河田匡人

――承継された事業について教えてください(高和製作所・高橋様)

叔父が椅子張りを手掛けていたので、中学を出た後にそこに入り、技術を覚えて独立しました。その間、他の職人のところで修業をしたこともあります。得意としてきたのは椅子張りで、家具、公共施設、ホテルの椅子など、さまざまなところで使ってもらってきました。椅子の骨組みに手作業で1つひとつ布や革を張るため、職人としての技術が大いに左右するものです。

喫茶店ブームやホテル建設ブームなど、昭和の頃は折々に需要がふくらみ、取引先が増えていきました。その後も学校やレストランなど、新たな業種からの引き合いが広がり、事業としては順調に推移していたと思います。しかし、年齢を重ねる中で、次の経営という別の問題が気になり始めました。子どもは別の職業に就いていましたので、親族内で承継をするつもりはありませんでした。他にどういう選択肢があるだろうかと考え出したのです。

従業員の誰かに経営を担ってもらうことも考えて打診してみたのですが、やはり職人として腕を磨いてきたメンバーです。経営を担いたいという人はいませんでした。それならば、技術を持つ従業員たちがそのまま活躍できるようにするにはどうしたらよいか。それを第一優先として方法を探り始めました。

――引継ぎ先とはどのように話を詰めていったのでしょうか(高和製作所・高橋様)

事業引継ぎ先は北日本ボード工業という県内の事業者で、同じく椅子や机を手掛けていた会社です。こちらの会社は合板加工を得意とし、学校教室で使われるような椅子製造などを中心に発展していました。もともと、合板の仕入れをしたり、生地張り込みが必要になった時にはお手伝いしたりといった取引関係があった先です。

ただ事業引継ぎの可能性について、最初からこの会社に相談したわけではありません。親族ではない引継ぎ先というのがあり得るかどうか、メインバンクの秋田銀行に相談をしてみました。同時期に秋田商工会議所の事業承継相談推進員が当社を訪れてくれたことから、秋田県事業承継・引継ぎ支援センターを知り、そちらにも相談したと記憶しています。

しばらくは引継ぎ先を探す期間が続いたと思いますが、その間にいろいろと相談にのってもらい、第三者への引継ぎという理解が私自身も進んでいきました。その中で椅子の張り込み事業に興味がありそうなところを考えた時に、取引先だった北日本ボード工業の可能性に思い至り、ある時、以前から顔見知りの工場長を通じて社長に話をしてみました。

現業との親和性もあり、事業の多角化につながると思ってくれたからでしょう。引受を決断してくれました。それにより、生地張り込み部門として、従業員全員がそこに移籍することができるようになりました。お取引先にもこの引継ぎをきちんとご案内しましたので、北日本ボード工業の一部門として従来の仕事を継続できています。私自身も一職人としてしばらく在籍し、生地張り仕事をしたり、若手育成などに関わったりして過ごしていました。

――引継ぎの前後でどのようなことを考え、実行されましたか

当時、高和製作所には少し借入金があったのですが、それを個人の積立金などを使いながら繰り上げ返済しました。そこまで大きくない借入額ですので、譲渡に影響したわけではありません。譲渡前にゼロにする必要も特にありませんでした。ただ、移籍する従業員のことを考えると、いろいろと心配になります。ちょっとしたことでも、移籍先で肩身の狭い思いをすることにならないよう、クリアしておこうと考えたのです。

また、職人は全員、椅子張りの技能検定1級を取得しています。全員きちんと合格できるよう、私も支援に力を入れました。技術力が高いほど、新たな職場でも活躍の幅が広がります。移籍の前に全員きちんと資格をとることが、従業員たちの活躍の後押しになるとも考えていました。

そして、顧客情報や進行中の受注先の状況などはすべて、引受先と共有しました。きちんと準備をしたので引っ越しをした日から新しい職場で仕事は継続し、当時引き合いが来ていた案件も無事に納品まで進められました。私自身が長年お客様との顔つなぎになってきたとも思うので、お客様への挨拶や引継ぎなどについても惜しみなく動いたつもりです。

――振り返っていかがですか

今は完全に引退し、顔も出さなくなりました。当初考えたとおりに従業員がそのまま移籍できましたし、今もなお活躍し続けていますので、あの時決断して本当によかったと思っています。

椅子張りは最終の仕上げに関われるおもしろさがあります。満足感を作りだす仕事かもしれません。ホテルや空港などで自分たちが作った椅子を見るのもまたうれしいものです。張り替えをすれば、椅子自体を長く使い続けることもできます。いい技術がきちんと引継がれ、今後もいろいろなところで使われ続けたらうれしく思っています。

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