変革期

世界的ブランドからの引き合いが、海外販路拡大のきっかけに~100年以上の歴史を持つ美濃焼の会社

株式会社カネコ小兵製陶所(岐阜県土岐市)
代表取締役社長 伊藤克紀

美濃焼の産地である土岐市で、大正10年にやきものの生産を始めたのが、株式会社カネコ小兵製陶所の始まりです。海外からの安い器が流通する中で事業を畳んだ同業もいた中、同社は常に新しい道筋を探し、魅力的な商品開発に力を注いできました。そして、販路拡大にも積極的に動く中、海外からの問い合わせを受けるようになり、今では重要な売上の柱へと発展しています。どのような経緯で今に至るのか、お話を伺いました。

代表取締役社長 伊藤克紀

――事業内容を教えてください

美濃焼の窯元として100年余り操業しています。時代によって主力製品は変化していますが、基本的には日常的に使える陶磁器をずっと作り続けてきました。

会社として設立したのは1964年で、その頃は徳利製造に特化していました。日本酒の消費量も多かったので、記念品などで徳利を配るようなこともあった時代です。時代の成長とともに徳利の需要が増えていきました。先代の時でしたが、1970年頃には徳利の生産量日本一を誇っていました。

しかし、徐々に徳利が使われるシーンも少なくなり、日本酒で熱燗という定番も徐々に減っていきました。私が社長を継いだのは1996年ですが、その頃には徳利の製造だけでは立ち行かなくなることが見えていました。近隣にあった同業の窯元で、この時期に廃業したところも多くありました。

私自身は、とにかく新たな商品を作っていかないといけないと思い、商品開発に力を入れ始めました。商品開発の講演会にもたくさん足を運び、そこで聞いた話をもとに妻と器を収集して研究を重ね、何とかその中から生活雑貨としての食器が売れ始めました。

次にもっと訴求力のある商品を作りたいと考えていた時に、漆塗りの器に目が留まりました。長野県の木曽地域に「ためぬり」という技術があるのですが、その美しさに感動したのがきっかけです。ただし漆器は、洗うのも大変ですし、電子レンジにはかけられません。同じような美しさを陶磁器で作り、手軽に使えるものが開発できないだろうかと考え始めました。

この色を出すにはゆうやくが重要です。最初に試作した時は、100個のうち2個だけしか成功しませんでした。もちろんこれでは採算ベースに合いません。一方で、当時の陶磁器市場は、他国からの類似品が格安で普及し出しており、簡単に作れるような商品では生き残っていけないと感じていました。だからこそ、ハードルが高くてもぜひこの商品を完成させようと決めて取り組み続けました。結果的に3年かかったのですが、土を変え、釉薬の研究を重ね、釉薬の塗り方を工夫し2008年に販売を始めることができました。これが、今の主力シリーズの1つである「ぎやまん陶」です。

もう1つ、主力展開しているシリーズは、「リンカ」と言います。こちらは2013年から発売を始め、磁器でありながら土物の温かみを表現した器です。私が予てから温めていた構想を長く付き合いのある型職人が形にしてくれて、素朴な美しさと丈夫さを両立させてくれました。

――海外に展開していった経緯を教えてください

最初は貿易商社を通じて、ドイツ・アンビエンテで開かれる国際消費財見本市に商品を置いてもらったのがきっかけでした。実はその時に、フランスのファションブランド「Dior」のバイヤーが目に留めてくれたのです。2010年2月のことでしたが、商社から国際電話が来て驚きました。その後話がまとまり、2010年8月からDiorの本店で販売することになりました。

ただし、そう簡単に販売量が伸びるものではありません。このまま続けてよいかどうかと迷いが生じた時に活用したのが、中小機構の経営相談です。そこで、アドバイザーの方から「世界的ブランドの会社が認めてくれた事実にもっと自信を持った方がいい」と言われたことが大きな転機になりました。自分たちの商品の価値をきちんと認識し、どう伝えていくかが大事だと改めて思ったのです。

実はその後の話ですが、この「ぎやまん陶」はヴェルサイユ宮殿の晩餐会で使われていました。発端は、急にフランスから160枚の注文が入ったことです。もともと、「ぎやまん陶」をデザート皿として使ってくれているシェフがいたのは知っていました。後日、その方がヴェルサイユ宮殿でのディナーを担当したという記事を見かけたのです。もしかしてあの皿が使われたのではないかと思い、あちこち問い合わせをしました。すぐにはわからなかったのですが、ある縁から実際に使われた写真を目にすることができて、確信が持てたのです。

中小機構のアドバイザーに言われたことと、こうした使われ方の事実とがあいまって、縁をつかんでいくこと、評価されたことを発信していくことに積極的になろうと思いました。改めて海外展開にきちんと取り組んでいこうと、中小機構の海外F/S支援を活用して英語のサイトも立ち上げています。

海外の展示会では、商社を通じて定期的に発信していたのですが、ある時からアメリカ・ニューヨークのソーホー地区にある著名なインテリアショップ「GUILD」で「リンカ」シリーズを中心に扱ってもらう事になりました。これは直接貿易で弊社からダイレクトに出荷しています。

海外販路拡大においては、物流と決済の仕組みはきちんと整えることが重要だと思っています。特に物流は、どういう選択肢があるかをきちんと知って使いこなすことですね。たとえば当社の場合、少量のサンプルであれば、輸送費が割高でも空輸で送ることがよくあります。決済の方法として、大口取引の場合は海外からの入金を確認してから出荷する、また、小口取引の場合は手数料が抑えられ、安全な手段ということで「paypal(ペイパル)」を活用しています。

――海外販売に向けた工夫はありますか

この傍らで、岐阜県で進めてきた「セバスチャン・コンラン・ギフ・コレクション」というプロジェクトがあります。ユニバーサルブランドのコンランと組んで岐阜の伝統工芸品を海外に展開していくもので、当社もこれに参画しました。このプロジェクトを通じて同じように海外を志向する経営者仲間とのネットワークが持てたことは非常に有意義でした。

今は、海外売上が全体の25%を占めています。すべて日本の感覚で作った商品ばかりで、海外向けに新たな開発をしているわけではありません。実はかつて、フランスではカフェオレボールがよく使われると聞いて、商品開発して現地に持って行ったことがあります。しかし言われたのは、「私たちは世界中からいいものを求めているのであって、迎合を求めているのではない」と。むしろ、日本発の自信を持った商品こそ求められているのだと痛感しました。それ以来、日本発の商品に自信を持って海外にも届けるようになりました。ただ1つ調整しているのは、器のサイズです。海外では大きめのサイズが求められることもありますので、それは対応するようにしています。

――今後の展望を教えてください

中小機構のアドバイザーの方々からいろんな意見を頂いたのは、自分の考えを進化させていくためにもとても有効でした。経営相談、セミナー、専門家派遣を活用させてもらっていますが、第三者の意見を聴ける機会はとても重要だと感じます。最近は、中小企業大学校で行われているセミナーも受講していて、できるだけの吸収をしようとしています。

一方で、数年前に息子が入社したのですが、一昨年、中小企業大学校の経営後継研修を受講しました。先々経営を託していくことになりますが、大学校での学びを活かし今後の会社経営に尽力してほしいと願っております。

今広がりつつある海外との関係性も、ぜひ続けていってくれると嬉しいですね。グローバルとローカルを合わせた造語で「グローカル」という言葉がありますが、そういう感覚で小さくてもきらりと光る会社であり続けられたらと思います。

イタリアの会社で、「ブルネロ・クチネリ」というアパレルのブランドがあります。カシミヤ製の良質な衣服を作っているのですが、本社はペルージャ県ソロメオ村というところにあります。ごく小さな田舎の村なのですが、この会社は村全体とともに発展しようと取り組んできました。私はここの話を聞いて実際に現地にまで行ったのですが、食べさせてもらった社員用の食堂は本当においしかったですね。社員に対して、そして地域に対して、熱い想いを形にしていることをまじまじと感じて、こういう世界観を当社もどこかに持てたらと思って帰ってきました。

社員が働く環境もすごく大事だと思い、できることはすべて取り入れています。今当社では、個人の事情に合わせて働く時間を調整できますし、残業もほとんどありません。また、古い建屋ではありますが、トイレなどの設備はきれいにして、働きやすさも徹底しました。社員がいきいきと働ける会社は、付加価値も生み出していけると思っています。

最近、「世界は美しいものを待っている」という言葉を大事にしています。自分たちが本当にいいと思うものは作り続けるべきだし、当社の器が世界で買ってもらえている理由にもなっていると思っています。この仕事をやっていてよかったと私自身思いますし、社員にも誇りに思ってもらえるように今後もがんばっていけたらと思います。

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